今更ながら、11月9日(月)に開催された議会閉会中の区民委員会での旧中野刑務所正門(平和の門)の報告について。今週木曜日区議会第4回定例会が始まり、門の保存についての議論も各議員会派から行われることになるので、その前におさらいを。

画像1番目のように、現在の位置から東へ約100m「曳家」をすることになりました。本来は門の歴史的文化的価値を担保する「真正性」から現地保存が望ましいとの議論がされてきましたが、国から文化財について『保存と”活用”』という方針が出されている関係で、活用のために門の周囲約40m四方の土地が必要となり、そうなると移転予定の平和の森小学校の校庭が成り立たなくなる、ということです。

スケジュールは画像2番目の通り。このままだと平和の森小学校新校舎のスタートが始が2027年となります。ただ、基本設計部分には幅があるため、工期を短縮するという努力は出来るでしょうし、やらせないといけません。

一つ前の議会(3定)の区民委では、門の扱いについての中野区文化財保護審議会の答申が示されています。2年前に学識者が示した以上の価値を認める内容です。天才建築家・後藤慶次氏の唯一現存するレンガ建築が旧中野刑務所正門です。歴史的に見ても門の意匠など文化的価値においても申し分ない。

この門を壊すなどあってはならないことです。幸い区はこの間一貫して「門は保存する」との姿勢を貫いています。しかしこの保存により、平和の森小学校の移転時期が大きくずれ込んでいるのもまた事実です。可能な限り影響を小さくするとともに、とにかく丁寧に説明を行うことが求められています。

平和の森小学校は区内で最も校庭が狭く、児童のためにも速やかな移転が必要との議論もあります。しかしこの点で指摘をしなければいけないのは、なぜ平和の森小学校がそういうことになったのかということ。画像3番目は過去の区政報告会で作った資料から切り出したものです。2011年に沼袋小の分割統合により今の平和の森小学校となったのですが、前区長時代にこうした小中学校の統廃合が行われてきた結果な訳です。それを前区長とともに推進した側が今になって平和の森小学校が狭いと言ってくるのは筋違いではないかと考えます。私たち日本共産党議員団は一貫してこの統廃合に反対してきました。改めて、前区長時代から進められてきたこの統廃合について検証をすべき時期にきていると考えます。

旧中野刑務所正門とは、元々豊多摩監獄という思想犯を収監していた刑務所が戦後に中野刑務所となった場所の門の部分で、1983年に刑務所が廃止になっても門だけは残っていたのです。レンガ建築の最高峰の技術が使われている大変貴重な文化施設です。

豊多摩監獄は、小林多喜二、荒畑寒村、大杉栄、河上肇などの思想家が収監されていた場所として有名です。どうやらこうした歴史を消し去りたいのではないかと訝しんでいるところです。つまり門を巡る議論には歴史修正を許すかどうかという側面もあるということです。

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