Twitterにて、『性別に関係なく制服選択可能に 東京・中野区立中 小6アンケきっかけで – 毎日新聞』という記事についてコメントを付けてつぶやいたところ、(https://twitter.com/isatetsurou/status/1089434669450354688

『(この書き方では)人々を分断する』とのご指摘を受けました。自分でも少し加筆したいこともありましたので、ここに少し書いてみます。

この記事は制服について児童が自ら物申してその声に区が答えたという内容です。従って、『どちら側に立つか』とは、「子どもの声を聞いて制服の選択を認めるか」「男・女の制服を強制するか」ということです。子どもの権利を認め、自治権や自己決定権を尊重し制服の在り方を変えることができるか、道理の無いジェンダーバイアスの押し付けを続けるのか、と言い換えることもできます。時代は変わるもの、変えていくものです。僕は日本共産党の議員として変革の側に立ちます。形骸化した決まり事には辟易しています。僕は普段帽子をかぶって活動していますが、実はこの帽子、社会を変革したいという僕の政治的スタンスの象徴でもあるのです。

そしてここが肝心ですが、僕が「どちら側に立つか」を問うた相手は行政です。議会や議員も含めて、のつもりです。議員ですから自分も含みます。問うたのは区民ではありません。あの呟きではそこまで読み取ることは難しかったかと思います。書き方が上手くなかったことは認めます。しかし文意は以上の通りです。みなさんの中に、どちらに立つのかと分断を持ち込んだつもりはありません。
それにしても、子どもの声を聞きいれる行政というのは、前区長のもとでは考えられなかったことです。子どもも含め区民の声をちゃんと聞く耳を持っている。この一点で、現区長は支持に値すると思っています。ちなみに2018年第2回定例区議会での日本共産党長沢幹事長の一般質問にて、子どもの権利条約制定と、子どもの権利状況改善のために他の自治体で既に実施している「子どもオンブズパーソン」制度の検討を求めましたが、区長からはどちらも前向きな答弁が出ています。

 

これは蛇足ですが…制服について、僕は将来的になくなった方が良いと思っています。歴史的に見ても軍隊から出発したものですし、校則や朝礼なども軍隊式が残っています。がんじがらめの息苦しさは今の年齢になってもまだ覚えているほど強烈なものです。しかしこれも、やはり当事者側からの声で決めることなのだろうと思っています。制服にはデリケートな問題もあります。例えば、生活の困窮により私服をあまり持っていない、制服廃止によってその困窮が明るみに出てしまう、というようなこともあります。スクールカーストが絶対の世界ではこれは厳しいです。今回のような、子ども側から意見を言い、それを「大人」が受けめるという事例が少しずつ積み重なって、世の中はちょっとずつ前に進んでいくのではないでしょうか。明日変わらなくてもいつか変わる。その為に何ができるのか。そのちょっとずつを皆さんと共有できたら嬉しいです。