DaiGo氏による差別扇動、すでにSNSを通じて大量に情報が拡散されていますが、以下の記事がまとまっていて分かりやすいです。

「ホームレスの命はどうでもいい」人間と猫の命を比較し… メンタリストDaiGo氏の発言に批判殺到

DaiGo氏の動画を見ていない人は見ておいたほうがよいと思います。該当部分をTwitterにあげてくれた方がいたのでリンクを貼ります。

DaiGo氏の差別発言は、①ホームレスに至る社会的要因に対する無知 ②人権への無理解による命の軽視 ③露悪を良しとする浅薄さの3点が気になりました。ひとつひとつ考えていきます。

①ホームレスに至る社会的要因に対する無知について。ネット上には少なくない生活保護バッシングがあります。しかしこれらに共通なのは「無知と無理解」です。誰もが、簡単に困窮状態に転げ落ちてしまうのが今の日本社会です。所謂「勝ち組」という超大金持ちや、平均より多くの安定した収入があるような人の中にはこれを「自己責任」だと断ずる人が少なくありません。私はこれまで沢山の方の生活保護受給のお手伝いをしてきましたが、それぞれに異なる事情や理由を抱えており、とても自己責任で片付くことではありません。本人の「努力」で解決できるようなものではないから行政が支えるようになっているのです。そもそもですが、生活保護を受給するのに「努力」は前提ではありません。頑張らないのが悪い、というのは個別の事情について知らないというだけですし、何より生活保護法や憲法についての無理無理解でもあります。そしてそうした「思想」が生活に困窮している人たちから生活保護の利用を遠ざけています。こちらが問題です。過去にご相談を受けた中でも「生活保護だけは受けない」「生活保護を受けたら勘当すると親にいわれている」「友達に絶交すると言われた」などの言葉を聞き取っています。救える人を救えなくなるのです。だからこうした考え方は絶対に放置すべきでないと考えます。

②人権への無理解による命の軽視について。命に優先順位をつけるというのは優勢思想そのものであり、この命の軽視の先にあるのがホロコーストであること、歴史が教えてくれていることを噛み締めないといけません。やまゆり園の事件では障害者でした。共通しているのは「役に立つかどうか」のジャッジです。「役に立つ」という言葉が人の評価に使われる時、それは 『呪い』 です。 何度でも強調しますが、「役に立つかどうか」は新自由主義経済の下では「金になるかどうか」です。稼げる人間は上、稼げなければ下。稼げる人間は優遇されて当然、稼げない人間は死んでも当然、ということです。言うまでもなく人間は多様な存在です。勉強が得意な人もいれば絵が得意な人もいる。そして取り立てて得意が無いという人が圧倒的多数ではないでしょうか。金を稼ぐのが得意というのは金を稼ぐことで優劣をつけるという価値観においてそのように判断されるだけです。そしていま現在日本がとっている新自由主義経済というものの価値観がまさに金を稼ぐことに重きをおいているので、こういう物の見方に陥りやすいということです。こうした金を稼げるかどうかという物の見方を煎じ詰めたのが今の日本の社会ということです。だから、人文科学系の学問が否定されたり、文楽の補助金がカットされたり、ライブハウスや劇場にまともな給付などの支援策がなかったりする訳です。だから、オリンピックやGoToキャンペーンが強行されたりするのです。

またDaiGo氏の場合は、自分がそのジャッジをする立場であるとすることに疑問も持っていません。この傲慢さも指摘をしないといけません。

再度強調しておきますが、言うまでもなく人間は多様な存在です。人には生きているだけで価値があるというのが人類がたどり着いた人権という考え方です。それを否定すること、つまり「役に立つかどうか」でのジャッジは、多様性の否定、文化の否定、人間の否定です。この点でも放置できません。

③露悪を良しとする浅薄さについて。人間は本来悪であるとする考え方に基づいた「露悪」がネット上には溢れています。露悪に対し「言いにくいことをはっきり言う人」のように評価する向きがあるのはまずいことです。それは正義・公正・平等といった社会規範の否定です。既に「正義フォビア」という言葉も生まれています。大変にまずいことです。まずもって「性悪説」が正しいとするのも既に思い込みです。人間は互いに助け合うことで生き延びる道を切り開いてきた動物です。社会を形成することが人間の基礎です。必然的に他者と揉め事をおこさず上手くやっていくルールが必要になる。それが社会規範です。その一部が法律となっている訳です。そこに善悪という価値判断はありません。そういうものなのです。つまり露悪や「正義フォビア」は社会規範の否定、人間が人間であることの否定につながります。この点でもやはり放置はできません。

小田急線の事件にしろDaiGo氏の生活保護バッシングにしろ、根本にあるのは差別や偏見といった認知の歪みです。やって良いこと悪いことの分別がつかないという倫理感道徳感の欠如がどこから来るのか、真剣に考え対策をとらないといけないでしょう。
私が強調したいのは憲法教育の大切さです。憲法25条の生存権、憲法13条の幸福追求権など、こういう時こそ憲法の出番のはずです。オリンピック開会式のドタバタでも、小山田圭吾氏の暴力や元ラーメンズ小林氏のホロコーストネタ問題など、人権に悖る言動や行動からニュースになったばかりです。ネット上には、こうした「明らかに間違った考え方」を養護するコメントが少なくありません。今度こそ差別思想にはきっちり決着をつけねばです。