以前「ネタや冗談では済まないことがある」という投稿をしていますが、これはその続きのようなものです。
某格闘家?YouTuber?が
「痴漢さんを悪く言わないで」
と主張する動画が存在し、2015年のものであるにも関わらず未だ削除もされていないことを先日知りました。今になってこの投稿が再び批判されはじめた一方、擁護する声が少なくない事に驚いています。そういえば迷惑系youtuberへずま某にも少なくない擁護の声がありましたが、こういうの非常にタチが悪いと思います。この格闘家?の方ではさらに「男は誰しも痴漢したいんだ」とも言っています。こういう露悪を歓迎しているのは一部だと信じたいのですが…
炎上狙いとの声もあります。それに対しては『知るか』としか思えません。痴漢は暴力。痴漢は犯罪。ネタで許されることではありません。にも関わらず、やれこの動画に被害者は居ないだの、ネタにマジレスすんなだのと冷笑クラスタからのレスが尽きません。
痴漢には現実に被害者がいます。そしてだけではありません。誰にも言えず、何年も何十年も心に傷を負って生きてる女性がどれだけ居るのかということです。ごく最近になって、やっとそういうニュースが出てきたけれど、そもそも被害を訴えても「そのくらい」とまともに取り合ってくれない、誰も助けてくれなかったなど、社会全体に痴漢を軽く見る風潮が蔓延っている訳です。ネタで許されないことくらい何故分からないのか。こんなものは表現の自由などではありません。人権に悖る。
「ポリコレ棒」などと揶揄して人権や社会正義を腐す行為は、人が人として生きていく基盤を壊すことになります。だから『その程度』で許してはいけないのです。間違いを指摘しないといけない。
この指摘をされた側は「ネタを愉しむ自由」を奪われたような気持ちなのかも知れない。その事で不自由や息苦しさを感じたのかも知れない。しかしです。
その「痴漢をネタにする自由」が何を踏みつけているのか、自分の足元を見ろと言いたいです。
これ、道徳や倫理といった社会規範が、壊れ始めているということではないでしょうか。非常に不味いことです。他者を傷つけないという当たり前が通用しないのでは社会が綻びます。人と人とのつながりを断ち切るのなら人間社会は成り立ちません。
フラワーデモ、 「わきまえない」などの運動に対するバックラッシュもあるでしょう。しかし根本は、今の政治が悪いとしか思えません。政治が、女性の差別的扱いを放置しているのです。
かつ。自らの嘘を認めず公文書改竄や統計データ改悪も放置、国民の生活より利権を優先、こんな政治がまかり通れば倫理観が崩壊するのも当然です。「政治家は清濁併せ持つもの」のような古い価値観も捨てなければいけないと考えます。
1つずつ決着をつけたい。
歴史改竄。戦争の美化。差別扇動。暴力の肯定。
どれも次の世代に残したくないものです。
社会が変わるとは人が変わること。社会を変えるには私たちも日々認識をアップデートしなければ、です。女性差別と性暴力を無くすには、法整備とともに社会規範も変えないと。まずは自分が学び、自分と繋がる人を変える。ダメなものにはダメと言うこと。ジェンダー問題は学びながら同時に実践も必要だと痛感しています。
加えて。痴漢の問題は女性の問題ではありません。これは男性の問題です。痴漢をしない、だけでは足りない。痴漢を許さない。痴漢を軽く考える風潮を許さない。まず男性が変わらないといけません。
それともう一つ。ジェンダー差別の問題は日本社会に根付く家父長制・父権主義へと繋がっています。なぜ日本のジェンダーギャップ指数が世界の中でも低いだけでなく下がり続けているのか、なぜ日本だけ選択的夫婦別姓制度が無いのか。戦後長らく続く自民党政治と無関係ではないということです。ジェンダー問題に決着をつけるためにも政治を変えなければ。誰もが自分らしくありのままに生きられる社会を作るためにも、一番の障害である自民党政治と早々に決着をつけたい。
(少し前にTwitterで呟いた内容に加筆修正しました)