今回の都知事選挙で思ったこと。宇都宮けんじさんの政策について「弱者救済に寄りすぎ」というご意見を散見しました。これなかなか消化できません。自分が弱者と思っていない、そう思いたくない方がいるのは知ってはいました。しかし『弱者救済に寄りすぎると(中間層である)自分のところに(支援が)回ってこない』というご意見を目にして、不安になっています。

そもそも宇都宮けんじさんの政策は単純に弱者救済などと名指すものでもないとも思います。誰もが当たり前に生きられるため、というだけ。電通の中抜き問題が示唆するように、弱者救済というよりごく一部がいい思いをする社会の構造そのものに問題があるはずです。私たちはこれは新自由主義経済の当然の帰結だと考えています。ですから、新自由主義を乗り越える、ということが政策には貫かれていました。それが弱者救済に見えてしまうということや、ほとんどの方が「弱者」に相当するのにその自覚が無いこと、またそれを弱者救済と呼んだとして、実行すると中間層に回らなくなるという感覚、これらは全て刷り込まれたものではないでしょうか。

昨日、派遣切りの相談をお受けしました。派遣の方は非常に立場が弱いけれど、労基法という武器を使ってたたかうことはできます。これは弱い立場の人だけのたたかいではありません。企業に労基法を守らせるたたかいであり、働く人全部のたたかいの最前線です。つまり、立場の弱い人を守るたたかいは、その他の全ての人に関わってきます。こういうことが想像できにくい社会になっているとしたら、何ができるか。ずっと考えています。