昨年は特に区議選後いろいろあって、ここの更新をおろそかにしてしまいました。これではいかんと2020年新年から再スタートのつもりで投稿します。
改めて、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

久しぶりの投稿は、僕らが良く聞かれる質問『なぜ議員になろうと思ったのか』について。
これ、共産党の議員にはちょっと困る質問なのです。というのは、共産党の議員の場合は、共産党に入るという決意が既に政治へ強く関わっていく覚悟となっているからです。議員になる前に、おそらくは皆さんが聞きたい「なんで政治に関わることになったのか」をクリアしてしまっているということです。もちろん議員になるかどうかはまた別の大きなハードルではありますが、ここいらは他の皆さんとは大きく違うところかもしれません。

僕が日本共産党に入ったのは大学卒業の時。日本共産党について知るようになったのは、大学受験の時に日本民主青年同盟に加盟したことがきっかけです。こんな風に入れ子状態になっているので全部を説明するのは少し時間がかかります。一言で、と求められたら『世の中から戦争と抑圧、格差と貧困をなくしたいから』となります。でもこれもちょっとわかりにくい。。。
僕の場合はやはり、民青に入った動機がそのまま日本共産党に入った動機です。大学受験当時は湾岸戦争が勃発し、自衛隊が国連平和維持軍に加わるかどうかが問われている情勢でした。反戦主義者であった僕は大反対の立場。で受験の折り、この反対署名をしていたの民青の先輩でした。話を聞き、目を見て「この人たちは真剣に戦争の無い世の中を求めている」と確信し、その場で民青に入りました。民青で学ぶ中で、戦前から戦争に反対し弾圧されても諦めなかった日本共産党の歴史を知ることになります。反戦主義者の僕が日本共産党に近づいていくのは必然でした。

で、卒業と同時に日本共産党に入党。様々活動していましたがその話はいずれまた。

中野に引っ越して一人暮らし始めた時に、職場のあった港区で党活動をしていたものの、地元中野でも何かできることで関わっていこうと、地元の脱原発グループに参加しました。この活動の中で浦野さとみ区議に見いだされ、議員にならないかと声がかかった訳です。(浦野区議が居なければ今僕はこの立場にいなかったということ!)

最初はすごく迷いました。なぜなら、地方議員の大変さは、党活動の中から良く見えていたからです。実は、8年前に港区で議員にならないかと声がかかった際、一度断っています。。。国会議員、都議会議員、区議会議員と比べた時に、一番大変なのは区議会議員で、これだけは自分にはできないとその時思いました。(一番大変はもちろん主観です。責任の大きさも違うし簡単に比較はできません。近くにいたから色々な苦労が見えていたということ)

本当に、本当に迷い悩みました。自分にできるだろうか。何度も話し合いを重ねるうち、自分にやってみろと声がかかったことを正面から受け止め、今まで以上に直接に政治に関わる生き方をしよう、自分の人生をここで燃やそうと決意するに至った、ということです。

長くてすみません。。。ここまで読んでくれた方ありがとうございます。この後は、昨年の第三回定例区議会・第四回定例区議会での僕の質問について、解説を加えながら紹介していくつもりです。