昨晩の地震はびっくりしましたね。あれが10年前の東北大震災の余震だというのだから、つくづく巨大な災害には人間は無力だと感じます。
さてびっくりと言えば…この地震でまたしても「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」とのツイートが現れました。その後もこのツイートを巡って「ネタにマジレスするな」式の言い訳が散見されています。
ではネタだと言い募る皆さんは、差別をネタとして消費していることを認めるということで宜しいのでしょうか。
人間は助け合う生き物です。誰もが繋がり・関係性の中で生きています。特定の民族を、女性を、困窮者を卑下し、正義や公正を嗤うことは、その繋がりを断ち切る行為に他なりません。それはこの社会を生きづらくするだけです。自らの首を絞める行為です。
それともう一つ。こういうものを「ジョークだよ」で済ませるのは強者の論理です。いじめっ子が、DV夫が、暴力を誤魔化す時に使う言葉です。それが民族差別なら、在日の方や外国籍の方に対してマジョリティの立場を利用して暴力をふるっているということです。許せるはずがありません。差別の無い社会を。誰もが自分らしく当たり前に生きていける社会を。
↓この記事を読んで欲しいです。これは、虐殺を実行した側が、恩賞欲しさに勇んで警察に出頭したという記事の論考です。その後の経緯も全部酷い。絶望しかかります。。。
「朝鮮人が井戸に毒を」のツイートをしている層は、こういうことを知らないと思っています。知っていたらネタにできないことは分かるでしょう。歴史をきちんと教えること、歴史を捻じ曲げないことは、この社会を持続させる上で避けて通れないことです。
差別にどういう態度で臨むか、これはその社会の成熟度の物差しのひとつです。日本が先進国の仲間入りをしたいのなら、社会全体で乗り越えなればいけません。これを読んだ皆さんも、まずは目の前の差別を無くす取り組みをご一緒に。どんな小さな差別も次の世代には残さないという気概を共有できたらと思っています。